岩屋寺 年表

霊亀元年 

​(715年)

大同3年 

​(808年)

弘仁7年 

​(816年)

平治元年 

​(1159年)

寶徳3年 

​(1451年)

天正18年 

​(1590年)

慶長5年 

​(1600年)

慶長13年 

​(1608年)

元禄15年 

​(1702年)

文政2年 

​(1819年)

大正14年 

​(1925年)

昭和26年 

​(1951年)

元正天皇が勅使として押小路中納言実直卿を差遣され、行基菩薩を導師として開眼供養が​行なわれる。

弘法大師(空海)が来山。

再び弘法大師(空海)が来山。奥之院にて百日間の護摩法要を行う。その護摩の灰にて一寸八分の千手観音の尊像をつくり、行基菩薩が御作りになられた聖観音の御光の中へ奉安されたと伝わる。

関東北国化導のおり、野間村の源義朝の墓地に詣でた親鸞聖人が、当観音の由緒深きを慕い岩屋寺に立ち寄る。その際、『我が門徒の輩を詣でさせん』と弘法大師七井の水を汲み、自ら阿弥陀如来の一尊を書き納められる。

大野城主 佐治盛光が一切経寄進の為、来山す。

豊臣秀次御附人代官、田中角助・萑部淡路守が来寺。御朱・黒、両朱印合わせ、三百弐拾石以上が没収され七ヶ坊が廃寺となる。※没収理由は不明

九鬼大隅守軍の来襲により本堂及び伽藍の多くが焼失する。

徳川幕府により尾張藩樹立。検寺の為、伊奈備前守忠次・彦坂九衛門光正が来寺。当山の由緒深きを査知し、伽藍料として御黒印弐拾石を給わる。

尾張藩士 遠山彦左衛門藤原景明来寺。赤梅壇香佛(前立千手観音)を奉安。

尾張徳川藩主の加持祈祷を行う役に就いた天台宗の律師にして高僧と呼ばれた豪潮律師(寛海大師)がこの年に当山の住職となる。

豪潮律師は尾張候に願い伽藍の整備を行い中興す。その後、尾張候の祈願所となり三葉葵の御紋章を許される事となる。

豪鉄大僧正が岩屋寺に転住す。伽藍の整備や大師ヶ嶽に親大師及び八十八ヶ所石仏等、三百体を奉安開眼した。

天台宗より改宗。尾張高野山宗 総本山となる。