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尾張高野山宗総本山 大慈山 岩屋寺

岩屋寺物語

※この物語は岩屋寺に元正天皇の命で勅使がお越しになる少し前のお話し。

  岩屋寺に伝わる伝承を現代語訳にした物です。

 

 まだ太陽が水平線に姿を見せる前。一人の男が舟の上にいた。その肌は浅黒く、よく陽に焼けている。くっきりとした眉と、鋭い眼光。強靭な上半身をむき出しにし、力強く網を引き揚げる。

「おかしい」

 呟き、首をかしげながら、仕掛けた網を引き揚げていく。舟の上の網は二つ。網はほとんど空で、クラゲすらかかっていない。こんなことは男の記憶にある限り一度もなかった。

「おーい、長春よ」

 別の舟から声をかけてきたのも、男であった。その顔はまだ少年のような幼さを残していたが、くっきりとした眉はこの土地のものであることを示していた。男の乗る舟にも魚の姿はない。

「お前のところもダメだったか」

 ちらりと舟に目を向けていう。長春は小さく頷いて返す。

「今日は引き揚げるぞ。ちょっと変やが。仏さんが今日は獲るなと言ってるんかもしれん」

「そうはいっても漁せんかったら死んでまうぞ」

「なんも獲れんのにおっても仕方がないが。戻って畑をやったほうがよっぽどええわ」

 じっと黙って、男は長春の言うことを考えていたが、一つ頷いて、舟を戻していった。

「皆、今日は仕舞いだ。戻ろう」

 長春が大きな声をあげると、他の男たちも文句はなく、浜に戻っていった。

 浜では既に円が組まれていた。どの顔も一様に不安が色濃く出ている。

「全員坊主だ」

 長春が来たことに気づいた男が、ぽつりと言う。長春が目をやると、誰の網にも魚の一匹もかかっていなかった。

 眉間に皺を寄せて、考える。何か怒りに触れるようなことをしただろうか。捕り過ぎていなくなってしまった、なんてことはあるまい。稚魚すらかかっていないのだから。

「誰か心当たりのある者はおるか」

 腕を組んで睥睨する。あまり人の上に立つことの得意でない長春が、せめて見た目だけでもと威厳を出すために覚えた格好のひとつであった。

 言葉を発するものはなかった。寄せては返す波音だけが、男たちの耳に届く。風の音さえない。鳥の声もしない。そのことにいち早く気づいたのは、やはり長春であった。

「静かすぎるな」

「あ、ああ。そういえば」

 男たちも、静かすぎることの異様さを口にする。海辺に作られたこの町は、山を後から作ったのだとでも言うように、山がすぐ後ろに迫っている。山の鳥の声も、虫の声も、動物の声も。海の鳥の声や、うなるような海風と共に聞こえるのが常だった。

「今日はもう、終わりにしよう。出来るだけ家からも出ないほうがいいのかもしれん」

 長春がつぶやくと、男たちは頷き、家へと戻っていった。

 

 長春が家に戻ると、女が驚いた顔で彼を迎えた。

「今日はえらく早かったんだね」

「ちょっと海の機嫌が悪くてな。お前も、今日はもう家にいろ」

 言いつけて、釜の蓋を開ける。茶碗に一杯あるかないかの、粟が底にくっついていた。

「すまんな、魚がなければ飯も食えんというのに」

「ちょっとくらい大丈夫ですよ」

「神さま仏さま。俺たちを守ってください。海で魚が獲れんと、俺たちは村人全員餓えて死んでしまう」

 祈りを終え、水を飲み、部屋の隅の網を手に取ると、修理を始める。普段は嵐の日くらいしか網の手入れをすることはないが、今日は特別だった。海だけでなく、山まで静かとなれば、家の外にすら出ないほうがいいだろう。長春はそう考えていた。

 日暮れまでかけて、長春は網の手入れを終えた。そのまま続けて、背負子の手入れを始める。山と海に囲まれているため、両方の恵みを得ることができる。畑や田は塩を含んだ風のために、上手く育てることができなかったが、その分自然からのそのままの恵みを多く得る事ができた。

「そろそろ食事にしませんか」

 長春の妻が、後ろから声をかける。気づけば、長春の鼻には、潮汁の香りが届いていた。

「ああ、ありがとう。食べようか」

「はい」

 暖かな食事を口にすると、長春の肩から力が抜けた。その時はじめて、自分が緊張していたのだと気づいた。今日一日というもの、地震があるのか、それとも津波があるのかわからず、ずっと気を張っていたのだ。

 食事を終えると、身体を綺麗に拭いて、床についた。太陽と共に起き、月の光が弱い夜には早々に眠る。そんな生活が身についていた。その日の夜は、新月だった。

 不思議な夜だった。強い風の音がないため、家の震える音もしない。月が見えないため、暗い。音がないだけで、落ち着かなかった。長春の妻は早々に眠っていたが、どうしてか長春は眠ることができなかった。

 扉が叩かれたような気がして、長春は床から出た。

「誰だ」

 夜盗の可能性もあった。一度声をかけて、様子を見る。扉があかないようにするための、つっかえ棒を外すと、それを手に取り、緊張しながら外に出る。

 海が光っていた。

 月もないのに、海の底からぼんやりとした光が、海を覆っていた。明るいのに、眩しくはない。

「おい、長春。なんだこれは」

「さあ、わからん」

 家から次々に男たちが飛び出してきた。女たちは、家の中から不安そうに海を見つめている。しかし、長春にはこれがどうも悪いものだとは思えなかった。

 長春は舟を出した。

 夜に舟を出すのは難しい。波の流れも読みづらく、また落ちれば岸の位置も舟の位置もわかりづらい。だがその不安とは裏腹に、海は凪いでいた。一か所、強く光っている場所があった。近づいて行けばいくほどに、光は強くなり、温かささえ覚えた。

 一番強い光の上へ来た時、何かが海底から浮かんできた。

 一体の仏像であった。

 長春がそれを手に取ると、光は消え、何事もなかったかのように、真っ暗な夜がやってきた。それが夢でも幻でもなかったことを示すのは、彼の手に残った、微かにぬくもりを残す一体の仏像と、岸で待つ人々の声であった。

 それからの長春の行動は早かった。村人に声をかけ、小さな御堂を造り、仏像を祀った。不思議な夜を一緒に体験していた村人が多かったこともあり、草堂の建立は迅速に行われた。税のひとつとして土木工事に従事していた者が多かったことも、皮肉なことに役立ったと言えよう。

 それからというもの、長春は時々夢を見た。その多くは予知夢で、山崩れが起きることや、水脈の発見であった。夢は数日から数か月の時を明け、そうして必ずその夢は現実に起きた。長春が次々に夢の中でお告げを受けるということで、噂が広がり、都から役人がやってくることもあった。

 七度の夢を見た後に、都から束帯をした偉人がやってきた。二人の天女かと思われるような女性を連れ、籠に乗りやってきた偉人は、仏像を見ると、梵延を作るようにと言った。

 これが、岩屋寺の縁起の伝説である。

  現代語訳:野村草太