境内案内
本堂
ご本尊、千手観音をはじめ、多くの神仏がお祀りされている岩屋寺本堂です。土足のまま立式でお参りいただける外陣と、個別祈祷や大祭などでお参りいただく内陣に分かれています。
ご朱印や授与品なども本堂内にございます。本堂下のホールでは不定期に宝物の展示などが行われます。
奥之院
弘仁5年(814) 知多半島に上陸された弘法大師は、ここ岩屋の地で百日間の護摩修法を行いました。
岩屋寺では今もこの場所で毎月17日に護摩法要を行っています。
身代わり弘法大師として参詣に訪れる方が多い奥之院は岩屋寺本堂より徒歩3分です。
(奥之院入口にも、台数に限りは有りますが駐車場がございます。広くはありませんので、本堂前に駐車場より徒歩にて参詣いただくことをお勧めします)
経蔵
一切経が収蔵されていた、三間四面の瓦葺二層総欅造りの建造物です(一切経原本は現在、宝物館にて保管)
現経蔵は寛政11年(1799)に着工、2年後に完成。
内部の輪蔵は文化9年(1812)から3年後に完成しています。
およそ15年の歳月をかけて造られた経蔵の建造費は八百両から一千両とも伝わっています。
鐘楼
古来は四本柱で建てられた一般的な鐘楼(しょうろう)であったと伝わっていますが、元禄十年(1697)の火災により焼失。その後、鐘は長らく本堂の軒端に吊してあったそうですが、宝暦三年(1753)に再建されました。
総欅造りにて長方形をした珍しい形をしています。
非常に細かい扇垂木等、現在では非常に造るのが困難な建築方法で造られています。
阿弥陀堂
平治元年(1159)に野間の地に葬られた源義朝公の墓地をお詣りに訪れた浄土真宗開祖 親鸞聖人が、当山の由緒を聞き参詣されました。
その際、この地へ我が門徒を詣でさせんと弘法大師七井の井戸の水を汲み、自ら阿弥陀如来の一尊を書き納められたと伝わっています。
現在の阿弥陀堂の本尊となっています。
五百羅漢像
羅漢(らかん)は、悟りを開いた高僧を意味します。
文政三年(1820)に当山の住職であった豪潮律師によって開眼されました。
時間の経過に伴い風化が進んでいますが、一体一体それぞれが個性を持った羅漢像です。
石工源吉の作と伝わっています。
弘法大師像
経蔵裏の大師ヶ嶽山頂に、昭和三十年(1955)、尾張高野山宗開祖 豪鉄大僧正が、八十八ヶ所石像と共に開眼されました。
親大師と呼ばれ、大師ヶ嶽の山頂よりこの地と伊勢湾を航行する船舶等を見守って下さっています。
山頂からは山海海岸の海も見渡せる事が出来ます。
笠森神社
経蔵と並びお祀りされている笠森神社は、旧山海村に住んでいた山本助左衛門と言う村人が、上州(現在の群馬県あたり)に出向いていた際に、目の病にかかり失明しかけた所を、現地に祀られていた笠森神社に願掛けした所、治癒したことから、帰郷後に、自宅近くの岩屋寺塔頭であった谷ノ坊にお社を建立し、これをお祀りしました。
眼病平癒に霊験あらたかだと言うことで、多くの参詣者が絶える事が無かったそうですが、助左衛門の死により、近隣の願いもあり岩屋寺に併祀する事になりました。
讃仏殿(客殿)
岩屋寺檀家様のご位牌をお祀りすると共に、法要の場であり、また各催事の会場として多くの方がお越しになられます。
オリジナル御朱印帳つくり、うでわ念珠つくり、阿字観、写経、落語会、コンサート等が行われます。
弁天の間
戦国時代に、岩屋寺に攻め入った九鬼一族が本堂に火を放った際、突然現れて火を消して下さったと伝説が残る弁天様をお祀りしております。
経年により痛みの激しかった弁天様を修復した際に、新たに弁天の間を製作しました。
弁天稚児行列の際は、参列された皆さんにお参りいただいております。
三鈷の松
大師ヶ嶽の中腹にそびえ立つ三鈷の松。
通常松の葉は二本に枝分かれしているものが殆どですが、この松の葉はほぼ三本出ています。
通常二本の葉から一本多く葉が出るのは縁起が良いとの事から、いつの頃からか子宝成就や安産祈願、恋愛成就の為に参詣者が訪れるようになりました。
多くの方が三本の松の葉をお持ち帰りになられます。
またこちらの松には、岩屋寺オリジナルの合わせ絵馬を奉納いただいております。